一般財団法人阪大微生物病研究会(以下「財団」という)の設立計画は、1929年(昭和4年)にさかのぼる。
当時大阪医科大学教授、谷口腆二博士は、伝染病に関する研究機関が大阪に必要だと考え、大阪医科大学学長に、基礎医学と臨床医学の総合研究を行うための施設設立を強く要望し、大阪伝染病研究所設営に携わる。大阪医科大学の国立移管にともない、大阪帝国大学医学部附置微生物病研究所(案)と名を冠した。しかし、ワクチン・血清等の製造は、東京帝国大学伝染病研究所の特殊任務であるとして、文部省がこれを強く拒否したため、やむなく、微生物病の基礎研究は研究所(現大阪大学微生物病研究所)が行い、その応用研究とワクチン等の製造・検査業務を行う機関として、財団が設立された。
1934年(昭和9年)6月6日、財団は山口玄洞氏の篤志による5万円を基金とし、文部大臣の主管に属する民法第34条による公益法人として誕生した。財団の設立趣意書には下記のように記されている。
「現今、本邦に於ける医学の研究は、基礎医学と臨床医学との間に於いて、連絡に乏しき恨み多く、これ等は組織の欠陥たりというべく、殊に近時各分科の進歩発達に伴い、最も重要なる綜合的研究に対し、益々不便を生ずるを見るは、将来に於ける医学研究上深く考慮を要する所なり。茲に於て、結核病・癌・寄生虫病、その他微生物性各種伝染病等の如き、殊に綜合的研究の緊要なることは己に、先人の着目したる処にして、東京に伝染病研究所を設けられたるが如きも、この意味に外ならず。然るに、当阪神間の地たるや、過去の実例に鑑みるも、海外伝染病侵入の門戸にして、その防疫の当否は、実に国家の体戚に関する所なり。然も輸入伝染病研究材料の豊富と、採取の迅速なるは、到底東京の比にあらず。依って大阪に本会を設立し、防疫医学研究の目的を達成せんとするものにして、本邦医学の研究に、一段の進歩発達をもたらすものなりと思科す。」 (1934年1月19日)
当財団は、この趣旨にのっとり、「微生物病の予防、治療に関する研究を主とし」、「兼ねて予防治療材料の製造を為す」ことを目的とし、 財団本部を大阪大学微生物病研究所内におき、微生物病研究所の活動と表裏一体の事業が進められた。
現在、財団はその本部と臨床検査部を大阪大学微生物病研究所構内におき、研究、製造業務は観音寺研究所で実施。供給可能な生物学的製剤は20種を超えている。





