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ワクチンマンブルーのワクチン工場見学

はじめに

予防接種は、感染症の予防、発病の防止、症状の軽減を目的として、国の予防接種制度に基づいて実施されています。この「予防接種法」を軸とした予防接種制度は、感染症の流行や、ワクチンの開発、改良に伴って、刻々と変化しています(参考;ビケンの年表)。平成20年(2008)4月からは、平成19年(2007)の若年層での麻疹(はしか)流行を受けて、中高生も対象となる第3期、第4期の麻しん風しんの予防接種が、定期接種として追加されました。
日本の予防接種制度は、どのような変遷をたどり、現在のような制度にたどりついたのでしょうか。また今後どうあるべきなのでしょうか。長年にわたり、感染症と日本の予防接種制度の変遷を見つめてこられた、平山宗宏 先生にお伺いしました。

平山宗宏先生 ご略歴
平山宗宏先生 東京都出身 東京大学医学部卒東京大学医学部保健学科母子保健学助教授を経て東京大学医学部保健学科母子保健学教授 現在:東京大学名誉教授、高崎健康福祉大学教授、恩賜財団 母子愛育会日本子ども家庭総合研究所名誉所長、東京都感染症予防医療対策審議会委員長、東京都母子保健運営協議会会長、日本小児科学会、日本小児保健協会、日本小児感染症学会等の名誉会員、日本感染症学会功労会員

平山先生とワクチン(予防接種)との出会い~ポリオ根絶のために~全国的研究組織の産声 

昭和30年(1955)に東京大学医学部小児科(高津忠夫教授)に入局。そのころは夏休みの時期になると、隔離病室は日本脳炎とポリオ患者で一杯という時代でした。早速日本でも、文献をたよりに始められていた、組織培養法を用いたポリオウイルスの分離同定研究のチームに入れていただき、まもなく国立公衆衛生院(現;国立保健医療科学院)の甲野礼作先生のもとへ勉強に出して頂きました。これが、臨床ウイルス学との出会いでした。ちょうどその頃、海外では細胞培養法を用いたポリオワクチンの開発が進められていました(表参照)。国家的な規模でSabin生ワクチンを製造し、使い始めたのはソビエト連邦(当時)でした。

昭和35年(1960)、北海道を中心に全国的な大流行があり、患者数は5,606人に達しました。そのころはすでにSalkワクチン(不活化ポリオワクチン)が日本でも製造され始めたところでした。しかし大流行のため、とても量が足りず、また、不活化ワクチンでは、個人の予防はできても大流行を阻止しきれないということが海外での事例から明らかでした。そこで厚生省は、予防接種についての研究組織としては初の全国的な組織、「弱毒生ポリオウイルスワクチン研究協議会」を発足させ、Sabin生ワクチンを検証するための効果や安全性の検討を行うことになりました。この協議会は基礎から臨床医学までの全国の学者を集めた組織で、「臨床」、「病理」、「製造検定」の部会から成り、恩師の高津先生が「臨床」部会の会長をされたため、私もお手伝いをさせていただきました。これがワクチンとの出会いでした。

表 ポリオワクチン開発の歴史と日本
1908年
Landsteinerら(オーストリア) 死亡した患者の脊髄乳剤をサルに接種、麻痺発症。
1949年
Endersら(米) ヒト胎児皮膚筋肉組織培養でポリオウイルスの培養に成功。ワクチンの大量生産が可能に。
1952年
Koprowski、Cox(米) ポリオウイルスを継代培養によって弱毒化、この弱毒化生ワクチンの接種実験を行う。
米;ポリオ流行(患者;57,879名)
1953年
Salk(米) サルの腎細胞培養法によって増殖させたポリオウイルスをホルマリンで不活化し、いわゆるソークワクチンを完成。
Sabin(米) 培養細胞を用いた継代法で弱毒化に成功。接種試験を行う。
1954年
Francis(米) 全米でソークワクチンの大規模な野外実験、有効性を確認。
1956年
ソ連;ポリオ流行。Sabinの生ワクチン大量製造。
1960年
日本;ポリオ流行(患者;5,606名)
1961年
日本;国産、輸入を併せて不活化ワクチン(ソークワクチン)の接種を開始するも、ワクチン不足、流行の阻止ならず。
日本;経口生ワクチン(Sabinワクチン)をソ連、カナダより緊急輸入、国内一斉接種。
1964年
日本;国産Sabinワクチンのみによる定期接種(2回接種)開始、現在に至る。
1980年
日本;最後の国内野生株が患者から分離。
2000年
WHO;日本を含む、西太平洋地域の野生ウイルス根絶宣言
現在、国内では、ワクチン関連麻痺の発生を防ぐためにも、不活化ワクチン(Sabin株)の導入が望まれている。

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