ポリオの流行が、国内初の予防接種に関する全国的な研究組織が誕生するきっかけとなったのですね。その後、流行を阻止するためにどういった対策がとられたのでしょうか?
当初、海外からⅠ型、Ⅱ型、Ⅲ型の単抗原生ワクチンを入手し、生ワクチンの小規模接種による安全性と有効性を確かめる臨床試験が行われました。その結果問題となる副反応はなく、抗体獲得状況も良好でした。こうしたワクチンの開発・採用の際には次いで中規模な接種試験を行うのがルールです。また協議会には依然として生ワクチンの導入に対する慎重論もありました。しかし、昭和36年(1961)も春前から前年の北海道での流行を上回る勢いで、九州を中心に流行が始まり、各種報道でも大きく取り上げられました。国民の危機感は極度に高まり、時の古井厚生大臣は、生ワクチンの緊急輸入と全国一斉接種の方針を決定し、協議会も同意しました。6月21日夕刻、厚生省は異例の大臣談話とともにこの決定を発表しました。「・・・事態の緊急性に鑑み、専門家の意見は意見としても、非常対策を決行しようと考えた矢先、これらの方々もこのことに理解の態度を示してくれたことは、何ほどか私を勇気づけた。責任はすべて私にある」
これに伴い、早速カナダからシロップ状の生ワクチン300万人分、ソビエト連邦からボンボン状の生ワクチン(直径1cmほどの丸い砂糖の塊にワクチンを滲み込ませたもの)1,000万人分の緊急輸入が行われ、7月21日から全国一斉接種が始まりました。1ヶ月の間に、全国の乳幼児・学童1,300万人に接種を完了するというもので、大きな事故も無く、実施されました。流行は阻止され、従来の流行期である8月に入っても目に見えて患者の発生は減り、昭和36年(1961)のポリオ患者数は2,436名にとどまり、翌年には63名しか患者が出ず、数年のうちに患者の発生がほとんど無くなってしまいました(図参照)。これほどの事業を短期間に実施して結果を出したのは、今日に至るまで世界で唯一といえます。まさに我が国の公衆衛生、防疫体制の実力を示した事例だと思います。このような世界的にも画期的な事業に居合わせたことが、私にワクチンの必要性を強く印象付けた経験となりました。

ポリオ生ワクチンの全国一斉接種という大事業に携わられた中で、心に残るエピソードはなんでしょうか?
時の大臣の英断によって全国一斉接種が決定した際、日本全国津々浦々にまでワクチンを輸送、接種するための事前練習と効果判定のため、交通の不便な地域で試験接種を行うことになりました。場所は岩手県の1地区が選ばれました。国立予防衛生研究所(現;国立感染症研究所)が試験検定用に取り寄せていたボンボンワクチンを私と3人の仲間で、魔法瓶にドライアイス詰めにして夜行列車で運びました。盛岡に到着すると今度は防疫車のジープで山道をサイレンを鳴らして走ったことが記憶に残っています。子供たちはボンボンワクチンが甘いので大喜びで飲んでくれて、なかには2度、接種待ちの列に並んでしまう子もいました。この試験接種によって、僻地であってもワクチンの輸送や接種に支障はないことがわかりました。
「弱毒生ポリオウイルスワクチン研究協議会」として誕生した予防接種についての全国的な研究組織は、その後、予防接種制度にどのような影響を与えたのでしょうか?
次に課題となったのが、麻疹ワクチンでした。昭和37年(1962)に厚生省の研究班として「麻疹ワクチン研究会」が組織されました。そのころ開発されていた麻疹生ワクチンには、Endersらが開発したものや、日本の奥野ワクチン(阪大微研)と松本ワクチン(伝染病研究所;現、東京大学医科学研究所)がありましたが、いずれのワクチンも接種後必ず発熱してしまうという反応の強いものでした。そこで不活化ワクチン(K)を予め接種しある程度の免疫をつけたところで生ワクチン(L)を接種するKL法が採用されました。しかしこのKL法は異型麻疹を引き起こすことが問題となりました。そこでさらに高度に弱毒化した生ワクチンの開発が進められ、現在のような効果が高く、それでいて発熱率が低い麻疹生ワクチンが誕生し、昭和53年(1978)には定期接種化されました。
次に組織されたのが「種痘研究班」でした。種痘は最も古いワクチンで、日本では江戸時代1849年から始まっていました。しかし、戦後痘瘡の国内発生はゼロにもかかわらず、種痘後の副反応による死亡や後遺症の被害が少なくありませんでした。この種痘研究班は、その副反応の実態や治療予防の調査、さらにより安全な弱毒痘苗(とうびょう)を開発するために昭和41年(1966)に組織されました。この時創設された研究者のチームが、形や人材の交代を経ながらも、予防接種についての全国的な調査組織である現在の「予防接種研究班」につながっています。昭和45年(1970)春には、種痘禍事件が起こり、当時は接種が義務付けられていた予防接種の副反応による健康被害に対する補償を求める声があがりました。これを受けて同年7月には閣議了解にて、また昭和51年(1976)の予防接種法改正にて予防接種による健康被害について法的救済制度が創設され、現在に至っています。昭和55年(1980)にはWHOの痘瘡根絶宣言を受けて、種痘の定期接種が廃止され、この時日本で開発、認可された弱毒痘苗LC16m8株ワクチンは幻のワクチンとなってしまいましたが、現在でもバイオテロなどによる再発生に備えて国に備蓄されています。
平成20年(2008)4月より、中学1年生相当の方と、高校3年生相当の方を新たな対象として麻しんと風しんのワクチンの定期接種が始まっています。とくに平成24年(2012)麻しん排除に向けて95%以上という高い接種率が求められていますが、予防接種によって我が国からポリオを排除できたというご経験から、この新たな対策についてどう思われますか?
接種を受ける本人の意識をもっと危機感の高いものにするべきです。法律が改正されたことは大きな一歩ですが、事業の成功のためには社会全体の理解と支援が必要です。
現代の麻疹に比べて、当時のポリオに対する親たちの不安は非常に大きいものでした。また上田哲氏(当時のNHKの記者)らがポリオ根絶に情熱をもっており、ポリオ日報という形で患者数を毎日放送しました。このように国だけでなく、医者、記者、親が一丸となって成功させた事業といえます。
平成6年(1994)の予防接種法改正で、予防接種は「義務」から「個人の努力義務」になりました。これは、国民ひとりひとりが、「予防接種についてよく理解して受ける努力をする」ということです。今回新たに定義された対象者は、乳幼児とは違って、自我が芽生え、既に自分で学習する力を持った年齢の子供です。「なぜ、放課後、痛い思いをしてまでワクチンを接種するべきなのか」という疑問に答え、同時に「予防接種の意義」を親子共々理解する必要があります。そのためには、もっと学校の保健教育に力をいれるべきだと思っています。
国、メーカー、そして予防接種関係者へ望まれることはなんでしょうか?
国には、現在任意のワクチンでもいいものは定期接種に採用して欲しいと思います。少子化の一環として自治体も、水痘ワクチンやおたふくかぜワクチンなどの任意接種に対して、独自に公費補助を始めている所もあります。国にもそういう柔軟な姿勢をとって欲しいと思います。また、海外で広く使用されているのに、日本には無いワクチンも早く認可して欲しいと思います。ポリオ流行の際には海外で先に流行してしまい、日本へのワクチンの輸出を断られたこともあります。ですから国家防衛のためにも国産でワクチンを供給できる能力は必要ですが、海外のワクチンも良いワクチンがたくさんあります。こういったワクチンを積極的に取り上げてくれないと、国際的に遅れをとってしまうと危惧しています。
日本のワクチンは品質改良を重ね、精製度も高く、安心して使用できます。しかしメーカーにはワクチンのコスト面で努力して欲しいと思っています。ワクチンをもう少し安くすれば、任意接種ワクチンも接種率が伸びてくると思うのです。
マスメディアには、予防接種の意義についてもっと報道して欲しいと思います。確かに予防接種による健康被害はゼロではありません。しかし、それ以上に予防接種をしないことで感染してしまう疾病の恐ろしさというものも、同時に伝えていって欲しいのです。医師も、そういった「予防接種の意義」をわかりやすく親や本人にPRしていく努力が必要だと思います。
平山宗宏 小児感染免疫19(2):189-196, 2007 参考
写真 ; 平山宗宏先生提供
(2008.8.1)







