ワクチンの匠
薗部友良先生
知念正雄先生
平山宗宏先生
予防接種関連リンク集
ビケンワクチンマン

はじめに

子どもたちは生まれてまもなく「予防接種」や「ワクチン」と出会います。このとき、子どもに予防接種を受けさせるかどうかを判断するのは、日本では保護者の方々です。保護者の方々が、予防接種やワクチンについて、不安になった時、悩んでしまった時に、頼れる確かな情報が必要です。しかし、現状では保護者の方々が身近に耳にできる予防接種情報は多くありません。どうしてその予防接種を受ける必要があるのか。そのワクチンで防ぐことができるのはどんな病気なのか。安全に接種できるのか。子育てに忙しく、専門的な知識もない中、手探りでそれらの情報を探し、そして判断することはとても難しく、大きな負担ではないでしょうか。保護者の方々がもっと予防接種について知識を深め、安心して子どもたちに接種を受けさせられるために必要な情報やしくみとは?
今回は、長年臨床医として子どもたちや保護者の方と向き合いながら、予防接種やワクチンに関する情報を幅広く発信されている薗部友良先生に、予防接種の重要性と現状の問題点についてお話を伺いました。

薗部友良先生 ご略歴
薗部友良先生 東京都出身
1968年:千葉大学医学部卒業
同年   :千葉大学小児科
1970年:日本赤十字中央病院(現日本赤十字医療センター)小児科
1973年:東京女子医大第2病院小児科
1974年:日本赤十字医療センター小児科(第1小児科:一般小児科)
1985年:同小児科副部長(第3小児科:小児保健部)
1995年:同小児科部長(第3小児科:小児保健部)
1998年:筑波大学臨床教授併任、(2005年に退職)
専門:川崎病、予防接種、小児保健、小児感染症、小児循環器
学会関係:東京川崎病研究会運営委員長、日本川崎病研究会運営委員、日本小児循環器学会運営委員、東京小児感染症懇話会運営委員、など

何でも診る小児科医をめざして

私が、小児科医を志望した理由は、「小児科とは何でも診る未分化の科」だからです。実際、現在にいたるまで、川崎病*などの難しい疾病だけでなく、予防接種などの予防医学や、小児保健に触れる機会に恵まれました。私は、大学で研修後、東京都渋谷区の日本赤十字社中央病院(日赤中央病院)小児科に入局しました。当時の日赤中央病院は、隣の日赤産院と合わせるとおよそ4万坪の敷地の中に、明治24年建設の平屋の建物が立ち並び、ところどころ板がはがれた部分がある廊下を自転車が行き交うような、広さと古さについては想像を絶する環境の病院でもありました(現在敷地の一部にはマンションが建ち並んでいます)。小児科は、明治43年から開設されていて、「重い病気は日赤へ」という評判が周辺地域に広まっていたと聞いています。後に、川崎富作先生が川崎病を発見(1967年)されたのも、当時は稀であった川崎病の患者さんが多く集まったためです。それにはこのような歴史がある病院であったからでしょう。しかし、小児病棟は、戦後のバラック建てで、入院してきた患児の親があまりの汚さと、温度環境の悪さに転院を申し出ることもありました。私たちは、「病棟などの設備が悪いのだから、せめて誠意と実力でそれをカバーするしかない」という思いで診療にあたっていました。

↑かつての赤十字社中央病院の病棟の一部が明治村(愛知県犬山市)に移築されている(昭和49年)。登録有形文化財(建造物)。明治19年(1886)日本政府がジュネーブ条約に加盟、博愛社改め日本赤十字社となるが、その折皇室から渋谷の御料地の一部と建設資金10万円が下賜され、同23年この病院が建設された。木造平屋建,設計は赤坂離宮も手掛けた片山東熊。

博物館明治村ウェブサイト
http://www.meijimura.com/


*川崎病

1967年に日本赤十字社中央病院(現:日赤医療センター)小児科の川崎富作医師により初めて発表され、今日、川崎病(KAWASAKI DISEASE)として世界共通の病名で呼ばれる。全身の血管に炎症が起こる原因不明の疾患で、心臓の冠動脈に瘤(コブ)が起こるものが問題となる。最新の治療法である免疫グロブリン療法を行っても、10%以上が冠動脈瘤などの合併症を起こす。近年、年間の発生数は1万人以上(子ども約100人に1人が罹患している)と増加傾向にあり、国民病とも言える。(薗部先生)

予防接種との出会い

私が「ワクチン」について知ったのは、高名な細菌学教授の川喜多愛郎(かわきた よしお)先生の授業にたまたま出た時です。出席も確認しない年代ですから麻雀などに明け暮れ、あまり基礎系の授業には出ませんでした。ただしその授業で「たとえ全員に熱が出るワクチンでも、効果があるのなら良いワクチンです。」という言葉が非常に印象に残りました。しかし、細菌学や他の予防接種に関することは全く知らず、よく卒業できたと今でも思います。
実際に予防接種に携わったのは、卒業2年後日赤中央病院に来てからでした。研修医として、川崎富作先生の小児保健外来でワクチン接種係になったのです。最初は、指導医だった川崎先生が保護者と話しながら予診をされて、私がワクチンを接種していました。当時はとにかく、「ワクチンほどいやなものはない。」と思っていました。なぜなら、目の前でショックをおこされても困るし、脳炎などの副反応は多いし、こんなに危ないものはないと思っていたからです。小児保健外来に行くのが大変嫌で、しかたなく担当していました。多くの子どもに接種しているうちに、そう簡単にショックは起きないことに気づきましたが、それでも「予防接種は必要ないのではないか?」と考え、独学で予防接種について調べ始めました。
ある日、種痘(天然痘ワクチン)接種後に、脳炎を発症した患者が入院してきました。当時、種痘後脳炎は、予防接種後の重大な副反応として知られていました。症状と経過は、種痘後脳炎の典型的なものでしたが、川崎先生は、当時都立駒込病院の南谷幹夫小児科部長に髄液のウイルス検査を依頼されました。その結果、単純性ヘルペスウイルスが分離されました。その患者は、種痘後脳炎ではなく、ヘルペス脳炎だったのです。それまでワクチン接種後に見られる症状は、すべてワクチンによる副反応と信じていた私には大変ショックなことでした。すると、予防接種を見る目が急に変わってきて、その重要性を感じるようになりました。
また、当時は、予防接種に対する慎重論が多かったのですが、ある時、当時大阪市立桃山病院の大國英和先生の「予防接種禁忌者にこそワクチン接種を」という論文を読み、目から鱗がもう一枚落ちました。さらに、当時東京慈恵会医科大学の堀内清先生の麻疹ワクチンを生後9ヶ月で接種すること、2回接種の有効性等の論文も知りました。
予防接種を否定しようと思って勉強を始めた私でしたが、逆に否定できる材料が見つかりませんでした。そして予防接種の副反応はできるだけ科学的に判断することが大切であり、また感染症から子供たちを守っていくには、予防接種が必須なものであることがわかりました。こうして、川崎病と予防医学(特に予防接種)との2足のわらじを履くことになりました。


もう一つの転機

1980年、私の息子(当時6歳)が再生不良性貧血*を発病しました。重症型で、特殊な輸血や逆隔離が必要そうでしたので、すぐに血液疾患で有名な聖路加国際病院に入院して治療を受けましたが、薬物に全く反応せず、全血輸血、血小板輸血、顆粒球輸血に明け暮れました。中でも数多くの方々に、顆粒球輸血のための採血をお願いしました。その当時の採血用の針は、割り箸よりも太いくらいで、採血にかかる時間も1〜2時間程度かかるものでしたので、ドナーの方には大変な負担でした。息子の命をつなぐために、毎日ドナー探しが必要でしたが、最後は神奈川県にあるサレジオ学院中学校高等学校が全校を挙げて協力してくださいました。しかし、当時治験段階だった薬物にも反応せず、骨髄移植しか治療する手が残されていませんでした。当時骨髄移植は成功率が低く、移植後の管理も難しいものでしたがひとまず準備を始めました。そんな折、スイスバーゼル大学内科のシュペック教授が行っていた、ALG(抗リンパ球グロブリン、ATGとも言う)療法がかなり良い成績をあげていることを主治医だった細谷亮太先生から知りました。偶然にもバーゼル大学小児科シュタルダー教授と川崎先生は懇意で、私も同大学で川崎病の冠動脈障害について講演をしたこともあり、すぐに連絡を取ったところ、ALGを分けてもらえることになり、すぐにスイスへ向かいました。使用方法など親切に対応いただき、氷で冷やしながらそっと日本へ持ち帰りました。残念ながらこのウマ血清由来のALG療法は効果がありませんでした。そのためにフランス製のウサギ由来のALG療法も行いましたが同じでした。息子には効果がありませんでしたが、日本で初めて本格的に実施されたこのALG療法に関心を持った河野嘉文先生(現・鹿児島大学小児科教授)が、シュペック教授のもとへ留学され、日本におけるALG療法の普及で多くの業績を挙げておられます。ALG療法は現在でも重症型再生不良性貧血の治療に使用されています。
息子は、数多くの方々に支えられ、現在の治療とほぼ同じ治療を受けることができましたが、1983年2月に帰天しました。8歳という短い命ではありましたが、普通の方の一生分のお世話を受けることができました。また現在でもALG療法は使用されていて、息子の死は決して無駄ではなかったと、河野先生をはじめ、多くの方々に感謝しています。このご恩は私が一生かけて皆さんにお返しをするしかないと思い、救える命を損なうことのないよう、予防接種の啓発を改めて決意しました。

*再生不良性貧血

血液中の白血球、赤血球、血小板のすべてが減少する疾患。後天性のものが大部分を占める。後天性再生不良性貧血には何らか原因(薬剤・薬物、放射線、ウイルスなど)があって起こる場合(二次性再生不良性貧血)と原因不明の場合(特発性再生不良性貧血)があり、約80%の例は特発性再生不良性貧血である。その大多数は自己免疫的な機序による造血幹細胞(血球の種にあたる細胞)の傷害が原因と考えられている。本症で骨髄を調べると骨髄組織は多くの場合脂肪に置き換わっており、血球が作られていないために貧血症状、感染による発熱、出血などが起こる。2006年の解析では、全国の患者数は約11,159人で、新たに発生する患者数は100万人あたり6人前後とされている。治療法としては、主に、免疫抑制療法〈造血幹細胞を傷害しているリンパ球を抑えて造血を回復させる治療法。抗胸腺細胞グロブリン(英語の頭文字をとってATGあるいはALGとも呼ばれる)とシクロスポリンを使用。〉、骨髄移植、蛋白同化ステロイド療法(腎臓に作用し、赤血球産生を刺激するエリスロポエチンというホルモンを出させるとともに、造血幹細胞に直接作用して増殖を促す)がある。

難病情報センターHPより一部引用 http://www.nanbyou.or.jp/top.html
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