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保護者に伝えることの難しさ~小児科医の力、マスコミの力

子どもに予防接種を受けさせていないお母さん方でも、「何がなんでもワクチンは絶対接種させない主義」という人はあまりいません。「区市町村から接種の案内が送られてきたけど、何だかよくわからないし、副反応がなんとなく怖いし、病院に行くのも面倒くさいから、なんとなく接種していない」という人が大半です。そういったお母さん一人一人にVPDにかかった時の大変さや、諸外国の予防接種情報を伝えると、ほっとされた様子で接種を受けられます。自治体からの案内状1枚ではカバーできない予防接種のソフト面を小児科医が担っています。
こういった保護者を含めた社会全体に大きな影響力をもつのがマスコミです。かつて、全菌体DPTワクチンが一時期、接種中止となったとき*、マスコミは一大キャンペーンをはって、ワクチン接種による副反応の恐ろしさを報道しました。その結果、国民の予防接種に対する熱意が低下し、すぐに2歳以上で接種が再開されたにもかかわらず(それまでは生後3カ月以上だった)、著しく接種率が落ちました。3年後、接種歴のない者や2歳未満児を中心に、約1万3千人もの百日咳患者が報告され、20~30人もの死亡者も出てしまいました。中止前の3年間では死亡例が10例であったのに、この中止後3年間で113例にもなったとの報告もあります(Paul A. Offit著「予防接種は安全か」日本評論社)。当時は、百日咳にかかって激しい咳のために酸素欠乏状態となり、脳障害を起こしたりする重症患児が多く訪れました。しかし、百日咳の流行によって患者や死者が発生した点や百日咳の恐ろしさについてはわずかに報道されただけでした。
また数年以上前のある学会で、「我々には麻疹で何人亡くなるかということは関係ない、むしろそのワクチンで何人亡くなるかということの方が問題だ」と発言した記者の方がいました。このとき私は悲しい思いで、「もっと命の尊さを考えた報道をしてほしい」と切実に感じました。しかし良く考えると、この発言も、記者の方々に正しい情報が届いていないためのもので、この方もある意味で被害者であると考えるようになりました。
その後、少しずつ状況が変わり、最近ではVPD患者の方の声が届くようになって、その疾患の痛ましさがマスコミでも伝えられるようになりました。また、マスコミもいたずらに一方的な報道をしようと思っているわけではありません。病院に訪ねて来られるお母さん方と同じく、記者の方々にも時間をかけてじっくり説明をすると大抵の人はワクチンの重要性を理解してくださいます。「VPDを知って、子どもを守ろう。」の会では年に2回、報道関係者を対象に勉強会を開催しています。

 


どのような薬についても言えることですが、「ワクチンの副反応の可能性を示唆しながらワクチンの必要性を保護者に伝える」ということは実に難しいことです。安心させ過ぎたり、怖がらせ過ぎたりすることは簡単でも「正当に怖がらせる」ことはより難しいのです。ワクチンは他の薬剤と同様、絶対安全というものではありません。しかしながら諸外国を含めてワクチン接種後の安全性はよくモニターされていて、このような薬剤は他には無いと思われます。昔は真の副作用と思われていた重大な有害事象も現在の科学の目で見れば、ほとんどは紛れ込み事故であることが分かってきました。実際に高度のアレルギー体質などの無い多くの子どもたちに重大な副反応が起こることはほとんど無いといえるようになってきました。副反応問題を避けるためにワクチンを否定してしまえばVPDによってたちまち多くの子どもたちの健康が損なわれてしまうことは、過去の例に照らせば明らかです。米国では義務接種にしてでもワクチンを接種しているという事実を伝えていきたいと考えています。

*百日咳ワクチン予防接種の変遷

ワクチン開始前には10万例以上あり、その約10%が死亡していた。百日咳(P)ワクチンは1950年から予防接種法によるワクチンに定められ、単抗原ワクチンによって接種が開始された。1958年の法改正からはジフテリア(D)と混合のDP二種混合ワクチンが使われ、さらに1968(昭和43)年からは、破傷風(T)を含めたDPT三種混合ワクチンが定期接種として広く使われるようになった。これらのワクチンの普及とともに患者の報告数は減少し、1971年には206例、1972 年には269 例と、この時期に、日本は世界で最も罹患率の低い国のひとつとなった。
しかし、1970年代から、DPTワクチン、ことに百日咳ワクチン(全菌体ワクチン)によるとされる脳症などの重篤な副反応発生(正しくは有害事象:薗部注釈)が問題となり、1975年2月に百日咳ワクチンを含む予防接種は一時中止となった。同年4月に、接種開始年齢を引き上げるなどして再開されたが、接種率の低下は著しく、あるいはDPTでなくDTの接種を行う地区も多く見られた。その結果、1979年には年間の届け出数が約13,000 例、死亡者数は約20~30例に増えた。
その後、わが国において百日咳ワクチンの改良研究が急いで進められ、それまでの全菌体ワクチン(whole cell vaccine)から無細胞ワクチン(acellular vaccine)が開発された。1981年秋からこの無細胞(精製、とも表現する)百日咳ワクチン(aP)を含むDPT三種混合ワクチン(DTaP)が導入され、その結果、再びDPTの接種率は向上した。1994年10月からはDPTワクチンの接種開始年齢がそれまでの2歳から3カ月に引き下げられた。


国立感染症研究所・感染症の話2003年第36週号(2003年9月1~7日)掲載より

負の連鎖を断ち切るためには

日本の予防接種の基礎を成すのが予防接種制度や予防接種後健康被害に対する救済のあり方といった「国の姿勢」であると思います。そして、日本の予防接種制度が世界に比べて大きく遅れたことに強い影響を与えてきたのが、日本の司法の姿勢であると私は考えています。
予防接種後の健康被害が報告されたとき、重大な健康被害(副反応)に関しては救済制度で補償されることとなっています。これは大切な制度です。しかし、先の例の様に、科学的にワクチンとの因果関係がはっきりと証明されることは稀で、中にははっきりとした証拠が無いながらも、「ワクチンとの因果関係が否定できない」として、補償が認定される場合があります。すなわち、認定されたものがすべて科学的に証明されたわけではありません。しかしこれが報道されるときに、すべて科学的にワクチンとの因果関係が認められたかのように発表されてしまうことが問題です。
さらに、裁判という事態になった時、裁判官は目の前にいる健康被害を訴える人を守ること(弱者救済)を第一に考えます。このことは間違っていません。しかし日本の司法制度では、誰かを救済(補償)する際に、誰かの過失を必要とします。この点が問題なのです。科学的にワクチンとの因果関係が証明できない、いわゆる紛れ込み事故の可能性がある例を救済する場合でも、当然誰かの過失が必要です。すると裁判では科学的、医学的根拠が無くても、ワクチン会社、厚労省関係者,あるいは接種医の過失を認めざるを得ないことになるのです。そうすると、真の原因は何であれ、救済された方やそのご家族は、過失を問われたワクチンを恨みます。またマスコミはワクチンの副反応問題を大きく報道します。そして過失責任を負った医師や国は、予防接種を嫌っていき、積極的な行動ができなくなります。その結果、予防接種行政は滞り、VPDの被害が拡がり、子どもたちが苦しむことになるのです。
では、どうやってこの負の連鎖を断ち切ればいいのでしょうか?それが「免責制度」です。つまり国が認可したワクチンを使用して予防接種を実施した場合に関しては,接種後の有害事象(ワクチンとの因果関係を問わない健康被害)に関して、ワクチン会社、厚労省関係者、医師の責任を問わないことにすればよいと考えています(極めて重大な過失や犯罪などは別です)。新型インフルエンザワクチンの輸入の際に話題となりましたが、欧米ではこの「免責」を行っています。不幸にも起こってしまった重大な予防接種後の健康被害には救済制度で補償し、かつ誰の責任も問わない。こうすれば、予防接種事業が滞ることはありません。


これからの予防接種に対する願い

私の夢は、2つあります。ひとつは、川崎病の原因究明と予防法の確立です。もうひとつは、ワクチンで防げる疾患(VPD)を日本から撲滅することです。残念ながら、川崎病だけでなく、現代の医学をもってしても、いまだ原因も明らかにならず多くの子どもたちが苦しむ病気があります。しかし、そんな子どもたちを苦しめる多くの疾患の中で、わずかではありますが、ワクチンによって防ぐことができる病気があります。かつて、シーボルトの弟子で、日本で最初に天然痘予防の種痘を行った佐賀藩の楢林宗健は、英語のVaccine(ワクチン)の訳語として、「白神」(ハクシン)という言葉を使いました。白く、神のように有効だった種痘を、このように読んだのです。現在、世界では予防接種の重大性が見直され、安全性も高いと認識されて「白神」の復権の時代になっていますが、日本ではまだまだです。
現在のワクチンという予防手段は先人たちの努力の結果であり、ワクチンの開発に協力してくれたお母さんや子どもたちのおかげです。中国の諺に、「井戸の水を飲む時は井戸を掘った人の苦労を忘れるな」という言葉があります。病気を治療してくれた人に感謝するだけでなく、その病気に罹らないよう尽力した人にも感謝してほしい、そのためにも様々な立場の人に理解を求め、協力して情報を発信していきたいと思っています。

種痘用ランセット
種痘用ランセット(時期不詳)
ジェンナーが最初に行った天然痘の予防接種は、乳しぼりの女性の手にできた牛痘(ぎゅうとう;ウシの天然痘)の膿疱(のうほう)液を少年の腕にランセットと呼ばれる器具で植えるものだった。後に痘苗(とうびょう)と呼ばれるワクチンが用いられ、これを接種することを種痘と呼んだ。痘苗を付けたランセットの刃先で皮膚を傷つけて体に植えつけた。

内藤記念くすり博物館
http://www.eisai.co.jp/museum/index.html

(2010.1.15)

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